常磐病院院長・新村浩明氏に聞く!/「浜通り」診療の鑑、ちょんまげ院長ここに在り

2026年6月号 LIFE [病院長に聞く!]
by 新村 浩明 (常磐病院院長)

1967年富山県生まれ。93年富山大学医学部卒、東京女子医科大学泌尿器科入局。05年ときわ会・いわき泌尿器科病院、11年ときわ会・常磐病院、15年院長。「日本一の泌尿器科病院」を目指し奮闘中。

経営難により2010年にいわき市から民間移譲された常磐病院。3・11後の深刻な人材流出を乗り越え、いまや浜通りの地域医療を支える中核病院へと再生した。その立役者が、仮装やSNS発信で注目を集める「ちょんまげ院長」こと新村浩明氏だ。笑いと実力の両輪で、病院を黒字化に導いた軌跡を聞いた。

――ちょんまげ姿で往診するようになったきっかけは?

新村 2014年のクリスマスに、思い立ってサンタクロースの衣装で往診したのが始まりです。すると「次は大黒様を」「次は花咲か爺さんも」とリクエストが続き、毎月テーマを決めて仮装するようになりました。殿様姿で病室を回ると、普段は表情の乏しい方でも目を見開き、手を叩いて喜んでくださる。診察というより慰問、元気付けですね。

――「メディカルクラウン(道化師)」として海外の医学誌に取り上げられていますね。

新村 私の活動を知ったイスラエルの関係者が来日し、当院でコラボイベントも行いました。歌や手品で子どもたちを笑わせる本物の芸にはかないませんが、当院は高齢の患者さんが中心です。ピエロではなく時代劇キャラのほうが伝わる。仮装一発勝負で、十分に反応していただけるのです。

――民間移譲後の開院翌年に東日本大震災。どんな事態でしたか。

新村 開院直後は医療スタッフの多くが流出し、実質ゼロからの再出発でした。そこに震災が直撃。機器の故障や断水に見舞われるなか、透析患者584名を緊急移送するなど、まさに綱渡りでした。

これ以上の極限状態はないと思うと同時に、ここに残るのが自分の使命だと腹をくくりました。

原発事故の風評で人材が流出する一方、復興関係者や避難者の流入で「患者が増え、医療者は減る」歪みが長く続きました。

――震災後、縁のなかったSNS発信を始めたのはなぜですか。

新村 病院を存続させるため、とにかく名前を知ってもらう必要がありました。地元商店の勉強会でSNSを学び、「顔の見える発信を毎日続けろ」と教えられた。そこで真冬でも毎日アロハシャツ姿で自撮りを投稿し続けました。「東北のハワイ」を掲げるいわきの「観光大使」を自称し、10年間、続けました。

――プロ並みの衣装やSNS、動画発信の原動力は何でしょうか。

新村 人材確保への執念でしょうか。5年ほど前から新卒看護師の応募が増え、発信に共感した人が来てくれるようになりました。明るく主体的な人材が集まりやすくなったと思います。一方で、診療の質は絶対に妥協しません。12年にロボット手術(ダヴィンチ)を導入し、泌尿器科手術数は1500件から3千件規模へと倍増。いまや東北トップクラスです。「ここに来れば学べる」という評価が広がり、医師も増えてきました。

昨年ようやく黒字化しましたが、安心はできません。看護師250人のうち、10人20人が欠けるだけでも、経営はすぐに傾きます。

――若手スタッフが生き生きしているパワーを感じます。

新村 院長自ら新入職員全員のインタビュー動画を撮影し、院内アプリで共有しています。年頭所感も殿様姿で動画にするなど、伝わりやすい発信に腐心しています。

環境面では、温泉旅館を改修した保育園、職員専用の温泉、充実した食堂なども整備しました。病院ロビーはハワイをイメージし、熱帯魚の水槽や興味を引く展示で雰囲気を変えています。

地方医療の課題は「人」です。だからこそ選ばれる病院でなければならない。仮装や動画発信で興味を引き、診療の実力で信頼を得る。この二つの柱が揃って初めて、病院は持続できるのだと思います。

(聞き手/編集部 和田紀央)

【オンライン限定公開】

新村院長がちょんまげ姿で慰問する様子を紹介する動画です!

https://www.youtube.com/watch?v=2R1DAOHxtxY

新村院長のチャンネルはこちらから

https://www.youtube.com/channel/UCJTavdJ9wT14Irfoljxyp9w

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著者プロフィール
新村 浩明

新村 浩明 (しんむら ひろあき)

常磐病院院長

1967年富山県生まれ。93年富山大学医学部卒、東京女子医科大学泌尿器科入局。05年ときわ会・いわき泌尿器科病院、11年ときわ会・常磐病院、15年院長。「日本一の泌尿器科病院」を目指し奮闘中。