米国が戦うのは、勝てる見込みがある戦争であり、そのために払うコストと利益が見合うときだけ。
2026年2月号 POLITICS [「ドンロー主義」の脅威]

トランプを怒らせるわけにはいかない(首相官邸HPより)
2026年は、地球の裏側で響いた砲声で幕を開けた。米軍によるベネズエラ攻撃と同国のマドゥロ大統領の拘束・連行だ。
遠い南米の出来事とはいえ、日本も無関係ではない。ベネズエラ攻撃は国際法違反であり、米国が主導してきた「ルールに基づく国際秩序」が崩壊するのではないか、という懸念は日本国内でも根強い。
「ベネズエラにおける民主主義の回復と情勢の安定化に向けた外交努力を進める」
高市早苗首相は1月4日、SNSにコメントを投稿した。米国の攻撃について肯定も否定もしない、何も言っていないに等しいコメントだ。
こうした反応は、単に様子見を決め込んだ結果だ、という見方もある。確かに、高市首相がコメントを発表したのは、トランプ米大統領がベネズエラ攻撃をSNS上で発表してからまる1日以上がたってからだった。この間、攻撃を批判した中国、ロシアはもちろんのこと、英国やフランス、ドイツ、イタリアといった欧州主要国の首脳も何らかの反応を示している。

拘束・連行されるマドゥロ大統領(トランプのXより)
ある外務省幹部は「うち(日本)だけが突出して批判したり、賛成したりするわけにはいかなかった」と話す。攻撃は国際法違反であり、日本としては批判すべきところではあるが、かといってトランプ氏を怒らせるわけにはいかない。こうした判断もあり、どっちつかずのコメントになったようだ。
ただし、物事には二面性が付きまとうのが常だ。日本にとって、ベネズエラ攻撃は悪いニュースであり、良いニュースでもある。
まずは良いニュースから。
ベネズエラ攻撃により、トランプ政権が武力行使に躊躇しないことが明確になった。
トランプ氏は就任前から、海外での武力行使に消極的な発言を続けてきた。2001年の米中枢同時テロ以降、米国はアフガニスタン、イラクに侵攻し、泥沼の戦闘で人命と国力を失い続けてきた。これを批判するトランプ氏の姿勢は、台湾有事や尖閣諸島有事などが起きても、米国は傍観するのではないかという懸念を生んできた。
しかし、トランプ政権は昨年6月のイラン核施設攻撃に続き、昨年末にはナイジェリア北西部にある武装組織「イスラム国(IS)」の拠点に対して「強力かつ致命的な攻撃」を行った。そして、今回のベネズエラ攻撃により、トランプ政権において武力攻撃のハードルは決して高くないことが示された。
仮に中国の習近平国家主席が台湾侵攻を計画する場合、その成否を左右するのは米国による介入の有無だ。トランプ氏が武力行使に躊躇しない以上、米軍が介入する可能性を念頭において計画を立てなければならない。これはつまり、中国が台湾侵攻に着手するハードルが高くなったことを意味する。
いやいや、そんなことはない、むしろベネズエラ攻撃により、中国が武力を行使する可能性が高まった、という見方もある。「法の支配」に基づく国際秩序を主導してきた米国自らが国際法に違反しているのだから、中国やロシアは大手を振って国際法を無視した行動をとれるというわけだ。
だが、米国が国際法を順守していれば、中国やロシアは一方的な現状変更の試みに着手しないのだろうか。もしそうならば、なぜロシアは2022年にウクライナを侵略したのか。なぜ中国は国際法を無視した南シナ海の埋め立てや、台湾に対する露骨な軍事的圧力をかけ続けるのだろうか。
答えは明白だ。中国やロシアが自国の行動を選択する最大の基準は「力の論理」であって、「法の支配」や「他国の主権の尊重」といったものではない。この点からすれば、ベネズエラ攻撃は中ロの「力の論理」に訴えかける強さを持っているといえる。
ただし、現在のところ、トランプ政権が武力行使を行っているのは、核兵器を保有していない「弱い国」にかぎられている。核大国のロシアや中国、あるいはすでに核兵器を実戦配備している北朝鮮に対し、武力行使をするかどうかは未知数だ。
日本としては、米国による拡大核抑止(核の傘)を確かなものにする努力が不可欠だ。今年末に改定が予定されている安保3文書では、非核三原則を見直し、米国による核の持ち込みを可能にすることも検討される。ただ、核の傘を強化するためにはこれだけでは足りない。日本が核保有するかもしれない、という不安感があれば、米国が核の傘を強化する動機も高まる。
このため、首相に安全保障政策を進言する立場の官邸幹部が「私は核を持つべきだと思っている」とオフレコで発言したことは理にかなっている。大手メディアや野党は官邸幹部の発言を猛烈に批判し、辞任を迫っているが、こうした批判により「日本は絶対に核武装しない」という認識が広がり、結果として日本の安全保障を損なうということは、もう少し意識されたほうがよい。
さて、良いニュースは他にもある。トランプ政権がベネズエラ攻撃に当たり、同国の民主主義には一切関心を払っていないことも、実は日本にとって良いニュースという一面がある。
ベネズエラ攻撃後の記者会見で、トランプ氏は「民主主義」に一切言及しなかったばかりか、ベネズエラにおける選挙実施よりも石油産業再建を優先する考えを表明した。ノーベル平和賞を受賞したマチャド氏を「国内で人気がない」と切り捨て、反米左派マドゥロ政権ナンバー2のロドリゲス副大統領が暫定大統領に就くことを容認した。
トランプ氏の民主主義軽視は昨年12月に発表した国家安全保障戦略でも明確になっている。
「『過激化防止』や『民主主義の保護』といった名目のもとであれ何であれ、米国のパワーは決して乱用されてはならない」
武力介入するのは、あくまで米国の国益に合致した場合であるというのがトランプ政権の基本方針であり、これはベネズエラ攻撃でも明らかになった。
米国が民主主義を重視しなくなったことが、なぜ日本にとって良いニュースなのか。中国に対抗する上で、より多くの国が米国主導の同盟国・有志国の連合に加わることが望ましいからだ。民主主義国だけでは十分なパワーを結集できる保証はない。米国が民主主義の拡大を叫べば叫ぶほど、遠ざかってしまう国もある。ベトナムやサウジアラビアなどはもちろんのこと、インドやドゥテルテ大統領時代のフィリピン、クーデターで軍政が敷かれるタイも人権状況が懸念の対象となってきた。
「アメリカは何もわかっていない。これではわれわれの立場は不利になるばかりだ」
2021年12月、バイデン米政権が「民主主義サミット」を開催した当時、日本政府関係者は苦々しい表情を浮かべていた。サミットには台湾を含む110カ国・地域が招待されたが、東南アジアはフィリピン、インドネシア、マレーシアの3カ国のみ。米国が正式な同盟国と位置付けるタイも招待されなかった。日本政府関係者は、これでは東南アジア諸国が中国に接近することを後押しするようなものだと主張し、米政府に再考を促したが、覆らなかった。
中国に対抗する同盟国・有志国の連合を形成する上で、米国の「民主主義外交」は障壁となってきた。トランプ政権がこうした障壁を取り払うのであれば、日本にとって良いニュースだといえる。
米国が「法の支配」や民主主義を軽視することは、良いニュースであると同時に悪いニュースでもある。
「法の支配」や民主主義は、米国主導の同盟国・有志国連合を形成する上で一定の効力を発揮してきたからだ。これは日本にも当てはまる。なんだかんだ言っても、米国は「善き意思」に基づいて行動しており、したがって米国の行動を支持するべきだ、というのが戦後80年の対米外交の基礎をなしてきた。つまり、トランプ政権の姿勢は、日本や欧州諸国の国内で、米国と連携することへの世論の支持を失う要因になる。
日本政府は2022年末に閣議決定した国家安保戦略で「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値や国際法に基づく国際秩序を維持・擁護する。特に、我が国が位置するインド太平洋地域において、自由で開かれた国際秩序を維持・発展させる」と明記している。
だが、日本政府関係者は「トランプ政権の登場で、日本も国家安保戦略を根本から見直さなければならなくなる」と語る。「ルールに基づく国際秩序」はそのまま残しても構わないが、安全保障を米国に依存する日本としては、米国主導の国家連合を形成するために別の旗も立てなければならないというわけだ。
もう一つ、悪いニュースを挙げるとすれば、ベネズエラ攻撃は米国が南北アメリカ大陸を中心とする「西半球」を重視する姿勢を改めて裏付けたことだ。トランプ氏は米国の孤立主義的な伝統を言い表す「モンロー主義」を復活させ、自身の名前「ドナルド」をかけあわせた「ドンロー主義」を掲げている。コロンビアやデンマーク自治領グリーンランドに対する軍事力行使もちらつかせている。
米国が西半球における軍事行動に没頭すれば、アジアや欧州における米軍の役割は低下していく恐れがあり、ひいては日本の安全保障を損なう可能性をはらむ。
もちろん、ドンロー主義が孤立主義を意味しているわけではない。トランプ政権の国家安保戦略は、中国がアジアで地域覇権を確立することを阻止する姿勢を打ち出しており、台湾の現状変更も認めていない。
ただし、トランプ政権の高官は「米国が戦うのは、勝てる見込みがある戦争であり、そのために払うコストと利益が見合うときだけだ」と主張し、同盟国が防衛力を強化することで「米国が勝てる見込み」を高めるよう求めている。高市政権が今年末に改定する安保3文書改定では大幅な防衛費増額が必要となる理由がここにある。その点を改めて印象付けられたのがベネズエラの砲声だった。